心からお母さんと呼べる日は来るのか?                    ~戦いの日録~ -3ページ目

一難去ってまた一難・・・(泣)

今書いてることは
思い出しながら書いてるんですけど、
でもはっきり覚えてます。
これは、ダンナの両親に、
ウソの謝罪をしに行ってから2日後のこと。

前にも書いた、
結婚式場で働く従兄弟。

パチンコしてたダンナの携帯に
従兄弟から連絡があった。
何でも、えらっっっそーに、

「おまえらに話しとかんと
 あかんことがある」


とか何とかで。

けっ、何がおまえらに話しとかんとあかんことがある、や。
こっちがおまえらの根性をたたき直したいっちゅうに。

私は従兄弟とか、絶対に家に入れたくなかったけど
何せ従兄弟に弱いダンナ・・。
仕方なく招き入れることになった。

しかし来るなりこうきた。


「おまえら夫婦はどうなっとんねん!!」


はぁ?
何なん、あんたーー。

これが結婚。

しかし日が経つにつれ、
だんだん気持ちも落ち着いてきて、
ダンナのことも考えられるようになった。

私がこのままやと、
この事件はおさまらないのでは?


と考えた。
そして、ダンナにこの気持ちを伝えた。

こないだ、ダンナの両親は、
「仲良くやっていきたい」
ということを言っていた。

その時はもちろん、
そんなこと、あり得へんって思ってたけど、
私がイラだっている間は
ダンナは実家に帰れないし、
このままだと溝は深まるばかり。

義母はあれで済んだと思ってるのか、
何の謝罪もない。
やっぱり心底悪いなんて思ってへんのやろうな・・。

腹立つわーー。


アイツを許すことは絶対に出来ん。
けど、
気持ちを抑えて、普通を装うことは・・。



義母と心から仲良くは出来んけど、
私が折れて、
何とか普通を演じるようにするわ。



あーーこれが精一杯。
もうこれ以上は無理!

私は必死の思いでこう、ダンナに告げたのに、
ダンナは、私が言った、「折れる」という言葉が
気にくわんかったらしく、怒り出した。

はぁ・・。
今度はダンナに抗議。


私がされた事に比べれば
折れるって言葉ぐらい、なんや!!
だいたい、そんなことせんと、
普通に出来るとでも思ってるんか!!!!



「結婚は親戚づきあい」
ということを聞いたことがある。
好きな男と結婚するであって、
好きな男の両親やらと結婚するんじゃないし、
別に親戚なんか・・という思いもあったけど
実際はそうはいかんのですなぁ・・。

私は心を決めたらやり通す。
やから、ダンナを思って、
今度は自ら、ダンナの両親のところへ出向いて、

この前は、
怒りをぶつけて、失礼なことをした

と詫びた。

ほんまは思ってないけどな。

でもまぁ、これで終わったんや。
こうするのがいいのんや。

と思ったのに・・。

怒りをぶつけたのに、空しい・・。

あの1件があって以来、
義母は病院へは来んかったけど、
私の怒りは収まるところを知らず。

当たり前じゃ。

入院は、せいぜい10日間くらいのことで、
まもなく退院した。

でも退院してもほんまに大変。
トイレに行くのも一苦労。
こんなんやから、お風呂に入るのも
ダンナに入れてもらって・・。

自分の事が自分で出来ないというもどかしさに、
イラだちもつのって、最悪な毎日やった。

で、退院して3週間ほど経ったある日、
ダンナの携帯に、ダンナの両親から

「謝りたいから2人で来て欲しい」

と連絡があった。

アホか、何言うてるねん。
謝って、私の気が収まるとでも思ってるんか。


しかし、
自分がはっきりと意思表示をしてやることで、
今後、何の関係も持たずにやれるかも

と思ったし、
しゃーない、行くことにした。

行って、普通に話せる訳が有りはしない。


もう、あんたの顔も見たくないし、
声も聞きたくない!

自分の息子の、初めての子が
命を落としたっていうのに
笑いながら話す、あの神経が
私にはわからん!



と、思うままに怒りをぶつけてやった。


こんな思いをするくらいなら、
手術をせんかったらよかった。
私の心も体も、
お金で何とかなるんやったら、
手術前に戻して欲しい。



こうも言った。

義母はうなだれて聞いているだけ。
ダンナも、母親の姿を心配そうに見ていたけれど
でもこればっかりは、母が悪い。
守ってやることは出来ん、という感じやった。

自分の思いは、ぜーーんぶ吐いたつもり。
でも、何か虚しさだけが残った・・。

何で私だけがギャーギャー言うてるんやろう。

口が滑ったって・・・。

義母が帰ったあと、
私は悲しくて辛くてどうしようもなくなって、
自分の母へ電話をして
このことを話した。

「何ちゅうことを言うんや!!」

義母に対し、ものすごい怒ってた。

姉にはメールをした。
仕事中やったけど、返事をくれた。
もちろん怒ってた。
それに悔しくて泣いてしまったみたい。

祖母も同じく、
義母の心ない発言に、
怒りのあまり、悔しくて泣いていたと聞いた。

夕方、ダンナが仕事帰りに来てくれた。
が、お見舞に来てくれた感謝よりも
義母に対する怒りをぶつけることしか出来なかった。

しかしそれを聞いたダンナも、
自分の母親の発言に呆れかえって、
私と同じく、相当に怒っていた。
そして私の分まで、
怒りをぶつけに、実家へ行ってくれた。


「○○○(私)が
 入院している間も、
 退院してからも、
 連絡してくるな!」

「自分のした行為を反省しろ!」



こう話して帰ったらしい。

しかし、何故、あんな心ない
発言が出るものか・・。
私の家族やダンナの疑問はそこへたどり着く。
なので聞いてみたら、


「ポロっと口が滑った」


のだそうだ。
ありえへん・・。
そんなん、口滑ったとかいう問題か~?

呆れて言葉も出まへん。

全てはここから・・。

手術した日はダンナが泊まってくれて、
次の朝は病院から仕事へ行った。

私は手術の次の日の夜まで何も飲めない状態。
それだけでも結構ストレスなのに、
さらに、痛さと環境の違いに、
感情がコントロール出来なくなっていた。

自分1人では寝返りをうつことすら出来ない。
こんなことは初めてで、
ストレスはピークを優に超えていた。

そんな中、
義母が来た。
見舞いということやろうと思う。

こんなストレスピークな中、
どう対処すればええねん!!

あんたは来んことが
何よりの見舞いやねん!!


しかしさすがの私もこんなことは言えず、
何かしらのお礼の言葉を言いつつも、
内心、
「早よ帰ってくれーーー」
と呟いていた。

義母は相変わらず
意味不明なことをしゃべっていた。
私はほぼ聞き流していた。
でも流れ続けてた言葉が
頭の中に留まった。


「卵管のとこになぁ、
ちっちゃかったけど
子供おったで~」



何を思ってんのか、
笑いながら、こう言った。
きっとここへ来る前に
先生のとこへ行って、
手術して取ったとこを見せてもろたんやろうな。


・・・キレた。


そんなこと、言われんでもわかってんねん。
その子には会いたくても会えん状態やったから、
それに私の身体も危なかったから
手術して取ったんやろうが。
せっかく授かった命を失って、
何より苦しくて悲しいのはこの私や。
それなのに、そんなこと言うなんて、どういうつもりや。



人の気持ちを考えるってことを
あんたは知らんのか。
私がどんだけ辛くて悲しいかって、
だいたい、子を産んだことがあるあんたやったら
誰よりも分かってくれてもいいんちゃうんか。

この一言が、
私の心に大きく残って、
義母をより遠くへやったことは言うまでもない。

バチがあたったのだ。

手術の時を振り返ってみると、
やっぱり、あの時は

子宮外妊娠という事実よりも
お腹を切られる、という不安の方が
遙かに大きかった


ように思う。

この手術で、
片方の卵管を失ってしまった。
でもこれは、私が今までやってきた
親不孝なことや悪いことに対しての
バチが当たったんやと思ってる。

両親にも旦那にも悲しい思いをさせてしまった。

でも何よりも、
自分が妊娠の可能性を全く考えていなかった
甘さ、愚かさを思い知らされた。
健康管理なんて、ちっとも考えてなかったなぁ・・・。

しばらくは入院ということになった。

静かに入院生活を
送りたかったのに・・。

涙も止まる、義母の顔。

手術はだいたい30分くらいで終わった。
この手術で、2本ある卵管の1本が、
切られてしまった。
そして血は200ccほど溜まっていたらしい。
結構な量や。

手術後、執刀してくれた医師が
手術で取ったところを見るか?と聞いてきたが
即、断った。
そんなん、見られるわけないやん・・。

取ったところって、
イコール、赤ちゃんが居たところやんか。


手術が上手くいったことを
待っていた家族とかに伝えるため
医者は手術室を出て行った。

しばらくして、私も手術室から出た。
うちの母の姿は見えんかったけど、
ダンナが来てくれていた。
ダンナの顔を見て、押さえていた不安が一気にあふれだし、
涙がとまらんかった。

涙、涙、涙・・。
涙、涙、涙・・。
涙、涙、涙・・。

しかし何やらダンナの後ろで
小さく動いてるものがある。
何や・・・?

目をやったら、そこには義母。

あんなに出て出てしゃーなかった涙が
ピタリと止まった。

ようやく全てが夢なんかでなく現実だということに
気付いたような具合。
今思えば、すんごい笑える。

とにかく、
ダンナが来てくれてれば
ひとまずは安心だった。

この日はダンナが
付き添いで泊まってくれることになった。

子宮外妊娠が確定。

次に行った病院は
総合病院だけあって、人の多さは半端やない。
相当待つやろうし、
ひとまず、母親には帰ってもらって
私はベッドを用意してもらって、
寝っ転がって呼ばれるのを待った。

そして再度、検査をし、
やっぱり子宮外妊娠と診断された。
さらに、
今、お腹に血が溜まっている状態は
このままだと、
ヘタすると卵管が破裂してしまうらしく、

即入院、その上、今日手術

ということになった。

とりあえず、母とダンナに連絡をして、
入院に必要なものを取りに帰った。
ダンナは仕事ですぐには戻れなかったから、
仕事が終わり次第、駆けつけてくれることになった。


荷物をまとめて、病院に戻ったら
すぐに手術の説明があり、
私は準備にはいった。
母は、再度、足りないものを取りに戻ってくれ、
保険の外交員のいとこも、心配してくれたのか、
駆けつけてくれた。

そして、忘れもしない17:30・・・。

局部麻酔で手術が始まった。

局部麻酔やったから、
私は目も開いたままやし、
もちろん音も聞こえた。
でも今、私のお腹は切られていて
手術が始まっている・・。

これほどに怖いことはなかった。

やっぱり無理やった・・。

次の日、
紹介された病院へ行くことにした。
でも、この日は
連日のだるさに加えて、
立つのもやっと、というほどの
身体の具合やった。
身体が、曲がりにくかった。

自分で病院へ行くのは無理やと思ったから
自分の母親に連絡し、送ってもらった。
母親はその後、何か用事があるとかで
すぐにどこかへ行ってしまった。
なので、私は1人で診察されるのを待った。

病院と言うところは、
紹介状というものがあると、
待遇が変わるように思う。


紹介された病院は
この近辺ではわりと有名なとこやし、
やっぱり人がたくさん来ていた。

私はあまりのしんどさに
待つことへの苛立ちを隠せなかったが、
ベッドで横になって待ちますか?という
看護士さんの言葉を、
何故か強気に突っ返してしまった。


まぁ、どれくらい待った後やったか、
やっと呼ばれた。

どこかに期待を持ちつつも、
覚悟を決めているところはあったから、
先生の言葉に動じることはないと思っていたけれど、
やっぱりそうもいかなかった。


子宮外妊娠。


身体が曲がりにくいのは
お腹に血が溜まっているから。
血を取り除く必要があり、
手術を要すると言う。
また別の病院を紹介された。

涙が出そうになるのを
今まで生きてきた中で
一番の根性を出して耐えた。

けどやっぱり無理や。
この子にも会えん上に、手術やなんて。
涙は堰を切ったように溢れ出た。

再び、母親に迎えに来てもらって、
次の病院へと向かった。

尿検査の結果。

病院で、尿検査をするということで
尿を取り、結果を待った。

やはり陽性反応やった。
でも、やっぱり生理妊娠なんて
聞いたことない。
出血している、ということは
やっぱりそういうことなんや・・。


涙が止まらん。

医者が、

別の病院を紹介するから、
そっちへ行って、
再度検査をしてもらってくれ、


と言った。

どうやら、この子に会える可能性は
ないようやった。